教室沿革

沿革

1944年(昭和19~20年)青森市に弘前大学医学部の前身 青森医専開設 
長尾直亮教授(空襲で御急逝)、代わりに吉田富三教授、黒羽武教授、木村男也教授が出張講義をされた。

1946年(昭和21年)9月 青森医専にて 初代第一病理教授 佐藤光永先生の病理学講義開始

1947年(昭和22年)弘前に青森医専が移管

1948年(昭和23年)弘前医科大学設置

1949年(昭和24年)弘前大学および弘前大学医学部設置

1949年(昭和24年)5月 第1病理学教室開講(後に病理学第一講座)
   初代教授 佐藤 光永 先生(昭和21年9月~昭和50年3月) 

1975年(昭和50年)4月 2代目教授 永井 一徳 先生 (昭和50年4月~平成5年4月)

1994年(平成5年) 4月 3代目教授 八木橋 操六 先生(平成5年4月~平成26年3月)
   現当講座特任教授

2008年(平成20年)4月 講座名称変更 弘前大学大学院 医学研究科 分子病態病理学講座

2013年(平成25年)6月 八木橋 操六 教授 第102回 日本病理学会総会 宿題報告発表

2014年(平成26年)11月 4代目教授 水上 浩哉 先生 (平成26年11月~現在)

歴代教授の業績

1944~1975年 佐藤光永教授

佐藤光永教授は、物資の乏しい時代から教室員の先生方と共に病理学の研究や教育のために御尽力された。
 病理解剖を始めとした人体病理が主な研究領域であった。主な研究領域は、胃潰瘍と胃癌の関係、胃、子宮、 乳腺などの初期病変、血流中および体腔内の腫瘍細胞、副甲状腺の加齢および各種疾患における形態変化、 その他内分泌臓器の病理、肺やリンパ節の結核症などである。
 昭和24年の日本病理学会東部地方会に始まり、佐藤光永教授の退官までに凡そ550の学会発表と、280編の 学術雑誌の掲載論文がある。

1975~1994年 永井一徳教授

永井教授の時代では、佐藤光永教授の研究方針を継承しつつ、電子顕微鏡を用いて超微形態レベルまで掘り下げ、また当時導入され始めた免疫組織化学を取り入れた研究が盛んに行われた。主な研究領域は、造血器(白血病細胞増殖と骨髄間質および静脈洞との関係、骨髄増殖症候群、骨髄異形成症候群、悪性リンパ腫細胞の起源と分化)、リンパ節病変(後毛細血管静脈の意義、Castleman 病、木村氏病)肺(Pneumocystis肺炎、肉芽腫形成性肺疾患)の病理を研究された。

1994~2014年 八木橋操六教授

八木橋教授の時代では、人体病理に関して佐藤光永教授、永井一徳教授の研究分野を踏襲しつつ、新たにFISHやPCRによる遺伝子やその変異の検出といった分子生物学の手法を病理学に導入し、病理診断の価値を更に高められた。また、八木橋教授は、病理学の分野でご専門であるヒトと実験動物モデルを用いた糖尿病の膵や末梢神経障害をはじめとする合併症に関する病理学的研究により数多くの業績を上げられ、これらの多くの論文は国際的な学術雑誌に掲載されている。これは、第102回病理学会総会 宿題報告 「糖尿病病理学の進歩 ―形態と機能との相関を求めて―」に採択されたことにも現れています。

(旧第一病理)現分子病態病理学講座出身の教授

篠崎達世 先生(昭和23~25年) 弘前大学 放射線科学講座
梅原 裕 先生(昭和29~36年) 弘前大学 脳神経血管病態研究施設 脳神経病理学講座 
永井一徳 先生(昭和26~平成5年) 弘前大学 旧病理学第一病理講座(現分子病態病理学講座)
伊原勝雄 先生(昭和53~57年) 青森県立保健大学
八木橋操六 先生 (昭和53~現在)弘前大学大学院 医学研究科 分子病態病理学講座
増田(梅村)しのぶ 先生 (平成3年~4年)  日本大学 医学部 医学科
西田尚樹 先生(平成3~8年)  富山大学大学院 医学薬学研究部 法医学講座
水上浩哉 先生 (平成8~現在)弘前大学大学院 医学研究科 分子病態病理学講座